あ、note始めます。
noteを始めた。
めちゃくちゃ偏見かもしれないが、noteで自己紹介をしている人は、すごくかっこいい。
noteで自分の言葉を、思いを、記憶を書いていることそれ自体が、なんだか不思議な魅力を含んでいるように感じる。
クスッと笑える呟きが面白いTwitterや
映える写真がステキなInstagramと同様に
noteそれ自体が感情を揺さぶるような、エモさがある。
所詮僕なんかには、誰かの心を掴むような、読み手の心を揺さぶるような文章なんか書けないだろう。
だから、読み手のことなんか考えないでおこう。僕は僕の言葉を飾る気はない。僕は僕の思い出を偽る気はない。
ありったけの僕を、僕自身を、言葉にしよう。
そのままの僕を、僕自身を、表現しよう。
こうして今の気持ちを言葉にしてみる。
この行為自体に意味はない。
無理やり、意味付けしてみるとしたら、
野球部が毎日バットを素振りするように
漫画家がいつもペンを走らせているように
言葉を編む人が、言葉を紡いでいるのだ。
言葉にすることは、何がいいのだろう?
言葉にするのは、めんどくさい。
時間もかかるし、体力だって必要だし、頭を使う。
言葉にする、というのが
文字にするということだとすると
文字にすること。その行為は
新たな作品に命を吹き込むのと同様に
また新しい世界を作る創作行為である。
新しい世界を、言葉によって創り上げる。
言葉にするのは、何がいいのだろう?